エスクァイアが編集を手掛け、
アメックスカードの会員向けに出版されている〝Departures〟と云う雑誌があります。
そこに、ナポリのコスタンティーノと云うサルト(テーラー)が紹介されていました。
有名な方なのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、
松山猛さんが、彼のポジション(仕事ぶり)をとても解りやすく体験記としてまとめられています。
コスタンティーノ氏は、彼自身が縫うのではなく、
腕のいいジャケット職人とパンツ職人とのコラボレートから服を生み出します。
採寸者が型紙を引いて裁断し、仮縫い、縫製、仕上げまで、
全ての工程を1人でこなすイメージの強いナポリのサルトリアですが、
コスタンティーノのような 『コンダクター』の存在は、
今のナポリスタイルを作り上げたと言われる、ルビナッチ&アットリーニという
最強コンビの再来を意識せざるを得ません。(←2005年2月3日ダイアリーをご参照下さい)
採寸した人間が最後まで縫い上げるのが理想形だと云う人もいますが、
でも、それならどうして、そこにルビナッチやコスタンティーノが存在する意味があるのか。
彼らが何故その理想形を上回るスタイルを実現できているか、を考えた時、
マッセアトゥーラの存在価値も、彼らと同じ処にあると思うし、
その価値を認めてもらえるような仕事をするために、
何をしなければならないかが明確に見えます。
スーツコンダクター
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コメント / トラックバック 4 件
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「まさに!!」という内容の記事のようですね。
こういったポジションはスーツ業界においてまだ余り認められていないような気がしますが、その分逆に今後の可能性を感じるというか、新しいサルトリアの形態として定着しうるもののような気がします。
針使いがうまい人が「職人」なのではなく、豊富な知識と経験によって絶妙の造形ができる人を「職人」とすればこういった創作形態も奇妙奇天烈なものではないと思うのですが・・・
ただ、職人同士のすり合わせにはいささか神経を使いそうなのも事実かもしれませんね。お互いの立場の譲れない部分があるでしょうから。
早く私もその一端を担えるような人間にならなくては、とあせりますね
流石は〝的を突き刺す〟ご意見ありがとうございます!
日本のように技術偏重主義、ブランド崇拝主義が蔓延する中で、
Masseのような無名の存在が幾らトヤカク言っても、
広がるスピードは余りに遅すぎます。
僕が7年前、この仕事に就いた時から発信し続けても、
このスピード社会にありながら、浸透し得る期待値は天文学的に低く感じます。
それどころか今でも僕の存在すら否定されるというか〝鼻でフン〟的な
扱われ方をする事さえあります。
ただこれに関しては僕にも責任があり、
仕事を全とうできてない事を露呈する結果になっているのでしょうが、、
> ただ、職人同士のすり合わせには、
> いささか神経を使いそうなのも、事実かもしれませんね。
> お互いの立場の譲れない部分があるでしょうから。
そう、その出会いが運命を左右するといっても過言ではないと思う。
色々な意味において、
コンダクターと縫い手との阿吽の呼吸があれば、
高次元でバランスの取れた作品が創出される事は当たり前として、
他のあらゆる点においても同様に、
最高のパフォーマンスを発揮できると思うのですが、、
こんな事を考えていると、日々仕事をする中で、色々な葛藤があります。
ある意味この考えを浸透させる事だけを目的とするなら、
大企業で一発ドカンと発信するのも、
今の日本の風潮では最善策なのかな?とも思います。
>ある意味この考えを浸透させる事だけを目的とするなら、
>大企業で一発ドカンと発信するのも、
>今の日本の風潮では最善策なのかな?とも思います。
もちろん、そうなのかもしれませんね。
でもきっと、、、違うような気もします。
もっと根っこの太いことができないでしょうか。
この先はまた帰国した際にでもお話させてください。
よろしくです。
それにしても毎日多岐にわたるジャンルの更新、楽しみにしておりますし、なんとも頭の下がる思いです。
これからも、頑張ってください。
> それにしても毎日多岐にわたるジャンルの更新、
> 楽しみにしておりますし、なんとも頭の下がる思いです。
> これからも、頑張ってください。
sartinoさん
ミラノ通信のコーナー、開設しましょうか!(笑)