僕の大学時代は、まだまだ車にステータス性がありました。
みんな、車がなきゃ彼女なんてできないよ!くらいの勢いで車を買ってました。(軟派!)
しかし、今ではオトコの趣味も多様化したことで、
価値観も変わり、車への憧れがなくなっているように思います。
それよりも、そもそも今の車には夢が感じられなくなってると思いませんか?
それは、単なる移動手段(道具)になってしまったから、、
前フリは、ここまで!
ここからスーツの話題に切り替えます!(笑)
車だけでなく、今ではスーツも単なる制服(道具)になり下がってしまいましたが、
日本の経済が急速に伸び、スーツ人口の増加にともなって既製服が台頭してくるまで、
スーツが、給料の2ヶ月分や3ヶ月分もする時代があったのです。
つい40年程前まで、そんな時代でした。
結局は、車や電化製品と同じ末路をスーツも辿ってますね。
経済の発展には、文化を切り捨て均一化してゆくこと、、
それ以外に手段はなかったのでしょうか?
これって、寂しいですね、、
スーツが〝男のステータス〟として復権できるかどうかは、
僕達テーラーのモチベーションに委ねられているのではないかと感じます。
スーツの復権を願って
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まぁ、考え方次第ですね。
スーツが単なる制服になり下がったと嘆くか、色んな人に着てもらい、スーツの良さを広く知ってもらえるようになったと考えるか。
その中で、共感できる人たちが、頑張って給与の2ヶ月分、3ヶ月分をかけて作りたいと思えれば、すばらしいことです。
寂しいことばかりではないですよ。
たぶん。。。。
ペンタさん、ありがとうございます!
最後の「たぶん。。」は多分ではなく、その通りに違いありません。
僕も同感で、それも理解した上で書いてます。
以前、店の近くにオーダー量販店がOPENした際に、
そこの営業の人から、「ホント隣ですいません、、」って言われたんです。
僕は、「どうして謝るの?
それどころか、オーダーの門戸が広がる事に、
逆にこちらからお礼を言わないと、、」って、思わず言ってしまいました。
そもそも、両店を比較の対象とする事じゃないって思うんです。
そういうお店があり、マッセアトゥーラがあります。
あくまでも、このブログでの書き込みは、
マッセアトゥーラの立場として伝える事に意義があると思ってます。
考え方には陰陽があり、
僕が、そう書いたのは、陰のようですが、
最後に書いた想いを実現するため(陽)だと思って下さいね。
ただ、、やはり、
物事を考える際には、陰と陽を理解し、
それを入れ違えないようにしなければなりませんね。
理解を深めるために、もっと突っ込みたいですが、
この場では限りがあるので、お酒でも飲みながら、、なんて。(笑)
こんな書き込み、嬉しいです。
これからも、宜しくお願い致します。
どうもこんにちは。
いわゆるスーツの(正しい)文化とはなんでしょうか?
もしくはあるべき姿、目指すべき姿とはなんでしょうか?
最近はそんなことを考えます。
色んな要素があるでしょうが、精緻なドレスコードがそうなのか、はたまた代々続く老舗と代々続く顧客との関係性がそうなのか。
こと「オーダー」という形式に関して言えば、他の国を知らないので詳しくはいえませんが、日本よりも門戸が開かれている国はないのではないでしょうか。
少なくともイタリアよりは馴染み深いものだと思います。
文化の形成には「時の経過」は一つの構成要素です。
高度成長期から以降、洋装業界は大きく様変わりしたでしょうが、コレは後々失われた○十年といわれてしまう『暗黒時代』なのか、それとも芽は出さずとも地下深くに根を伸ばしている時期なのか。
時代の流れに取り残されたかのようにアナログなサルトリアで働いていると、日本についてそんな風に考えることがあります。
失礼しました。
ちなみに、現状に対する全肯定ではありませんのであしからず・・・
深いなぁ~
一度で理解できなくって、
何度も読み返してしまったやん。(笑)
最もスーツ人口が多いのに、
綺麗にスーツを着ている人が少ない日本。
今の時代を、今のマッセのポジションから見て、
肯定的だったと捉える事ができる、そんな時代がやってきて欲しい。
ただそんな時代になると、
今度は、門戸は閉ざされてしまうんやろね。
どちらが良いとは言いがたいけれど、バランスよくならないものか、、
まぁ、必要なバランスでもないけど、、
そう考えると、今の日本って、、
スーツ文化レベルで見ても、とても充実してるよな。
幸せな国です。