【2007年1月14日】
ロンドンでの一夜を過ごし(意味深、笑)、
翌朝、ロンドンスタンステッド空港より、ドネガルを目指す。
出発前にネット予約しておいたライアンエアーが、片道0.99ポンドで運んでくれる。
ライアンエアーは、アイルランド国籍の格安航空会社で、
欧州の格安航空会社の中では最大の航路ネットワークを展開している。
今回は、ロンドン~アイルランドの往復、
この後に向かうスコットランドへの往復も、全てネット予約。
あまりの呆気なさに、飛行機に憧れを持った子供時代を過ごした僕には、
「さぁ行くぞ!」みたいな、期待感というか、ワクワク感は全く感じられないけれど、
単なる移動手段と考えれば、便利で使い勝手も良い。
ネット予約優先なので、販売代理店もないし、
運行自体も経費削減のため、機内でのサービスも最低限に抑えている。
シートまでビニール張りと〝潔い〟削減振りに関心する。
デリー空港(ここは英国領の北アイルランド)に着くと、
アテンド先のマギー(Magee)の方が迎えに来て下っていました。
空港から約100km強に位置するドネガルの町まで連れて行って下さいました。
道中、段々陽が暮れて行く中で景色を楽しんでいると、
速度表示がマイルからキロに変わり、
標識も、ケルト語を主体に英語が併記されるようになった。
パスポート提示もなく、ノンストップでアイルランド共和国に入った事になる。
風景は何も変わることもなく、呆気なく憧れのドネガルに到着した。
趣のあるホテルにチェックイン。
ドネガルに入った頃には、すっかり陽が暮れてしまったので、
ドネガルの風景を楽しめなかったが、
翌朝のドネガルの景色への期待感を高めてくれるロビー。
メニューになかったアイリッシュシチューと
大好物のドラフトギネスを、本場の樽生サーブで楽しんだ後は、
これまた大好きなミスティーネイルを
本場のアイリッシュミストで楽しませてもらいました。
アイリッシュミストをアイリッシュウィスキーでカクテルにすると、
ミスティーネイルで、スコッチウィスキーで割ると、ラスティーネイルになるんです。
ホテルのレストランで、これだけ楽しめた食事は初めてかも。
せっかく良い感じに酔っ払ったのに、
翌日の事を考えると、ワクワクして眠れなかった。
昨日に引き続き、イタリア紀行です!
【2007年1月12日】
珍しく?少し二日酔い気味の体を引きずって、ミラノ・チェントラーレに。
といっても、ホテルから僅か2分ですけどね。(笑)
隣のフォームには、落書きだらけの電車が、、
これは良く見る光景です。
ミラノから普通列車で1時間30分程度でベルガモに着く。
途中、高校生達がドッサリ乗ってきたりと、ローカルな気分を満喫した。
やはりその国を感じるには、ローカル列車に限る。
駅前から、バスでベルガモの旧市街(チッタ・アルタ)に向かう。
山の上に見えるのが、別世界の旧市街です。
同じバスに乗っていた紳士。
もう1人いらしたが、写真は断られた。
こちらの紳士も、オッケーくれたものの、恥ずかしいみたい。
色合わせ、イタリア人が好きなオール緑のコーディネートが最高!!
ホント、ご高齢の方ほど、お洒落なイタリア♪
ここからフニコラーレ(ケーブルカー)に乗って、旧市街を目指す。
いきなり中世に迷い込んだ雰囲気に変わる。
なのに、人々の普通の生活がある。
ここはテーマパークではなく、中世から脈々と続く生活の場。
子供たちがサッカーをしている。
女性も、みんなお洒落。
ミラノから近いからなのか、この地が高級住宅街なのか、
みんな洗練された雰囲気を持っている。
何もかも、石で作られた街。
やはり、ここが中世の城壁都市の名残。
フニコラーレの駅を降りて、ぶらぶらと上を目指していると、
見晴らしの良い場所に着いた。どうやら頂上だ。
綺麗な背中のラインです。
普通のオヤジが、普通に格好いいんです。
ってゆーか、こんな人、日本じゃあまり見かけないでしょ。
これまた、、グリーン系の色合わせが絶妙でした。
これ、どうやら凄いものらしいです。
ごめんなさい、、あまりルネッサンスに興味なし!?
取り敢えず、観光客らしく、、
これはマーブル(大理石)の象嵌ですが、
象嵌には興味があります、、写真だけは撮っておきました。(笑)
次は、いよいよ、、
英国&北アイルランド&スコットランド編です。
久々に、今年1月のイタリア紀行の更新です!
【2007年1月10~11日】
SMN駅からESスターに飛び乗り、フィレンツェを後にした。
ホント、毎回この〝飛び乗る〟って表現が似合うくらいバタバタ。(苦笑)
列車内でピッティを回って感じ取った事を書き留めたり、日記を書いたりしていると、
気がつくと、列車はミラノ・チェントラーレ駅に停まっていた。
今回のミラノの宿は、珍しく事前に予約しておいた。
チェントラーレの直ぐ目の前にあるホテル前には、列車の到着が遅れたこともあり、
既にsartino君が待っていてくれた。
チェクインだけ済ませて部屋に荷物を置いて、2人で直ぐ食事に。
南から、列車でこの国を北上してくると、
いやでもここミラノが、イタリアきっての大都市であると実感させられる。
豊かさと大都市の持つ雑多さ(喧騒ではない)が共存する。
何でも揃う便利さと、逆に騒々しさと、、
あるいは他人に干渉されない気楽さと、逆に冷たさとが入り混じる街。
ミラノコレクションからイメージされる華やかなイタリアは、確かにここにあるけど、
それは、この国の持つほんのひとかけらの部分であるって事実、
それは、この国に実際に来てみないと分からない。
到着日の翌日は、sartinoさんにもらった地図を見ながら、
路面電車や地下鉄を使って、ミラノ市内の附属屋さんや生地屋さんを見て回った。
ミラノだからと言っても、やはり現場は泥臭い。(笑)
全く英語なんて通じない、、ここは日本でも有名な附属屋さんなのに。
同じ泥臭い現場であっても、看板を見ると格好いい。
これは、日本人特有の〝横文字コンプレックス〟からくるものだと思う。(笑)
そしてまた夜は、sartino君とドゥウォモで待ち合わせ食事へ、、
流石はミラノ住民のsaritino君!
日本人観光客を見た事がないと云うトラットリアに連れて行ってもらった。
閑静な住宅街の一角に、地元の人たちで行列が出来ている。
今までイタリアで食べたイタリア料理は
日本で十分食べられるし、それどころか日本の方が美味しい。
でも、このお店は違った、、恐ろしいくらいに美味かった、、ヤバイ!!
お店のカードがあるので、ミラノに行かれる方は、ご連絡下さいね。
駄目ですか教えたら?saritino君、、
翌日も、予想した以上のスピードで目的先を回れた。
興味がそそられるものがなく、写真を殆んど撮ってなかった。
道行く人は飛びっきりお洒落なミラノだが、中々撮らせてもらう勇気もない。
そんな中、、唯だ2つ!
こちらはISAIAのショーウィンドゥです。
(一番下のボタンは留めたら駄目でしょ、捨てボタンですよ!)
(それとも、それこそコート感覚なのですか?)
そしてこちらは、確かBRIONIだった記憶が、、
いずれも脇の縦ポケットが、
今回、僕が着ていったバヴァを真似たコートに似ていたから。
今日は、取り止めもないミラノ日記でした。
でも、この画像だけは、、面白いでしょ、座蒲団3枚!(笑)
今年の年初にイタリアに行った時に、
訪れた各地にネットカメラを設置してきましたので、
クリックして現地映像を楽しんで下さいね♪(←閻魔さんに舌抜かれんでぇ~)
まず一発目は!最高に良かったアマルフィーの風景です。
夕暮れ時が綺麗ですよ。(時差は日本時間-8時間です!)
現地カメラはこちらです!
数分毎に更新されますので、PCの【更新ボタン】をクリックして下さいね。
そして、同じ世界遺産アマルフィー海岸のポジターノです。
現地カメラはこちらです!
次はソレントです。
ナポリ民謡『帰れソレントへ』は日本でも馴染み深いですね。
夏場がメインのリゾート地なので、今がシーズン!
イタリア人のリゾートファッションを、10秒毎の自動更新でお楽しみ下さい♪
現地カメラはこちらです!
最後は、それらアマルフィ海岸への拠点となるナポリです。
ヴェスビオ火山や、卵城も見えます。
世界3大夜景と言われるナポリ、夕暮れ時が最高に綺麗ですよ!
現地カメラはこちらです!
イタリアに行った気分に浸って下さいね!(笑)
【2007年1月10日】
年初に行ったピッティUOMOでは、初の特別展が開催されました。
その特別展の名前は、先日紹介させて頂きました本、、
『The LONDON CUT / Savile ROW BESPOKE TAILORING』 にもなっています。
日本ばかりではなく、世界的にもビスポークブームのようです。
先日7月5日、パリの英国大使館で、この特別展のミニチュア版も開催されました。
イタリア国内でも、この特別展がテレビ放送されたり、また、
イタリアのサルトの間でも、英国のビスポークテーラーに感心が集まっているようです。
この特別展の最終日にも、ナポリのサルトが団体でやってきたくらいです。
まぁ、僕たち日本のテーラーが、イタリアや英国のテーラーに興味を持つのと同じですね。
会場の入り口で携帯電話で話す、ハリソンズのブキャナン氏です。
恐らく、ヘンリープールのアンガス氏と、今夜の打ち合わせでしょうか。(内緒!爆)
ハリソンズ・オブ・エジンバラは、
後にエジンバラ市長となるジョージ・ハリソン氏によって創設された名門マーチャントです。
ヘンリープールのブースです。
チャーチル卿の洋服(復刻)が展示されたり、(マシンガンを持ったチャーチル卿!)
著名人(全て故人)の本物の型紙が展示されていました。
顧客台帳には、昭和天皇や吉田茂氏、白洲次郎氏のものもあります。
ちなみに使われた生地は、チャーチル卿が好んで着ていたというストライプです。
この生地は、ロンドンのヘンリープールの企画で復元され、
日本でも、このA/Wに1反限定で注文が可能です。
こちらは、アンダーソン&シェパードのブースで、
ロンドンの作業場を復元しています。
会場内では、色々な著名人の型紙が展示されていました。
アンダーソン&シェパードのマシューズ氏が熱心に説明して下さったのですが、
恐らく3割程度しか理解できてないでしょう。(苦笑)
この2人組の紳士、いかにも英国人らしい!
特に右の紳士、、ダブルのチェスターフィールドですが、
毛足の長いビーバー素材を使い、上襟とカフには何と何と!獣毛が、、
恐らくモヘアだと思うのですが、どうでしょうか。
今回の出張で、イタリア人を見慣れた目には、彼らは全く異質のオーラが!
会場内をヴーヴ・クリコ(曖昧!)と、パテ&クラッカーを持った彼女達が巡回?してました。
恐らく、、ヴーヴ・クリコのデモンストレーションだと思います。
ちなみに、彼女達は全員がイタリア人でした。
あ~★&△$○%■#?☆すっかり酔っぱらってしまいました。(苦笑)
この後、フィレンツェ市内での約束を済ませ、
ESスターでミラノへ向かいました。
今日、悲報が届きました。
ラッジョ氏が亡くなられたそうです。
僕が最初に仕立てをお願いした時も、氏の体調は優れず、
出国前の状態では、無理と聞いていました。
ところが、僕がナポリに着いた夜に電話があって、
今なら状態も良いとかで、急遽採寸してもらう事になったのです。
そして奇跡的にも、、諦めていた機会が訪れたのです。
今、僕の手元には氏が裁断し、仕立ててくれたジャケットがあります。
このジャケットには、色々な想い出が詰まっています。
ラッジョ氏が、「お前のフィロゾフィーまで表現する洋服を仕立ててやるよ。」と言って
出来てきた、このジャケット、、本当に愛着があります。
ラッジョ氏との思い出を胸に、大切に着続けます。
ナポリでは名サルトと囁かれたラッジョ氏の栄光の人生を讃えると共に、
心から、、ラッジョ氏のご冥福をお祈りいたします。
たまに書き込みして下さる、ミラノのsartinoさんから、
コメント付きで届いた画像です。
嬉しいなぁ~、ありがとうございます!
>>>
ずっと前に話に出ていたMP3、最近なぜか結構見かけます。
なんか、前のボリュームがすごくて、モコモコしててかわいいですね。
(柳瀬談:やっぱりイタリアって、MP3にもウインドシールド付けるんやぁ~)
コレは、モンテナポレオーネのすぐ脇で見つけたんですけど、
「やっぱりこの辺を走るような人は変わったものに目がないのか?」と思っていたら、
その帰り道、自宅前の広場でも、一台見つけてびっくり。
いつの間に、こんなに増殖したのやら?
(柳瀬談:右隣はGT?こんな時期でも、トゥカーノのレッグカバー付けてる人って多いの!?
日本ではどうですか?
見ますか?
柳瀬さんも一台いかがですか?
(柳瀬談:ユーロの高騰もあってか、100万円もするねん!)
ラッジョのジャケットが届いて、数回着てみました。
ナポリ土着のドロ臭さと言うか、何とも言い難い独特の〝オーラ〟を感じますね。
でもなぜか、襟型は直線的なハイゴージのナポリスタイルではなくて、
フィレンツェスタイル、それも何故か、、
オールドフィオレンティーナスタイルと呼ばれるものです。
肩の仕上げも、今では唯一、
ナポリスタイルを築いたと云われるヴィンチェンツオ・アットリーニから、
ラッジョ氏だけが引き継いでいると云う、ピニニャティエッロ(pinìgnatiello)です。
マッセアトゥーラの顧客の方だけが見る事の出来る生きた化石。(笑)
画像で写してみましたが、雰囲気が伝わりません!
この胸ポケット、実はバルカでお願いしていたのですが、ご覧のとおりです。(爆)
おまけに、、数ヶ所に生地に傷が付いてしまっています。(苦笑)
裏地も、いきなり数ヶ所も糸が解けているんです。
それよりも、僕の指示した半胴より2cm(周囲だと4cm)も大きいんです。
仮縫は何だったの?(爆)
ラッジョには、ラッジョなりのスタイルがあるから、
彼にすれば、「俺のスタイルを着ろ!」って事なんでしょうね。
でもまぁ、これこそがナポリスタイル、という事にしておきましょう!(笑)
この服の本領は、これから10年後20年後でしょう、、
これから着続けていく間に、僕のスタイルに馴染んでくると思います。
この洋服がどのように自分に馴染むのか、、
手入れ次第というか、これからどんな風に着込むかで、
僕の人となりが見える洋服に変わってゆくんでしょうね、きっと。
僕の希望したジャケットに仕立て上がったかどうかは別として、味わい深い逸品です。
久々の海外通信、ナポリ編です!
【2007年1月8日】
今年の年初にナポリに行った時に、
カチョッポリのコジモ氏やアルヴェスティの冨士原氏の取り計らいで、
サルトリアであるラッジョ氏にジャケットをお願いできました。
そこに至る過程は、過去に何度か書いていますので、そちらをご覧下さい。
ラッジョ氏のサルトは、ナポリの目抜通り〝キアイア〟にあります。
ナポリのサルトの多くは路面にはありませんから、
顧客は建物の玄関にあるベルを鳴らして、
中から電磁ロックを開けてもらってから入る事になります。
このスタイルは、マリネッラや、アンナマトッツオもそうであるように、
ブランド店は別として、ナポリの一般的なスタイル。
ちなみに日本人の服好き(買い物好き)が面白いのは、このキアイア通りではなく、
近くのフィランジェリー通りだと思います。(笑)
獲得した賞状の前で!(これは一部です)
ラッジョ氏は、1968年から1973年にかけての5年間、
名サルト、ヴィンチェンツォ・アットリーニと一緒に働いていたそうです。
ヴィンチェンツォと云えば、ロンドンハウスの生みの親、ジェンナーロ・ルビナッチと
ナポリの黄金コンビと云われた伝説のサルト。
ラッジョ氏も、ピーク時には15人の職人を抱えていたそうです。
仮縫の風景です。仮縫の段階で、
初めて見るピニニャティエッロ(pinìgnatiello)という肩の仕上げになっていました。
この仕立ては、彼がヴィンチェンツオ・アットリーニから学んだもので、
今のナポリでは、彼だけが継承しているそうです。
という事は、彼が最後って事ですよね、、
ちなみにこの撮影は、
ブログへも時々書き込んで下さっている、dainojiさんです。
仮縫後、ちょこちょこっと型紙を修正してもらいました。
本来なら、ナポリの採寸は何度かの仮縫をしながら合わせるスタイルですが、
今回はコジモ氏のジャケットが僕の好みにピッタリだったので、
それをベースに型紙を引いてもらったので、
結構スンナリいきました。
70歳を過ぎても、この伊達たちです!
ちなみに、ラッジョ氏に後継者はいません。
彼の息子さんはサルトの仕事に興味を持ってはおらず、
彼の職人も、彼の仕事に対する古い考え方についていきたくなかったそうです。
彼の経営者としての資質の問題か、職人の資質の問題であったのか、
そこまで立ち入っては聞けませんでした。
いずれにせよ、日本ばかりではなく、
手仕事の町、ナポリでも後継者難は深刻なようです。
この問題は洋服業界だけではなく、職人の世界では世界的に深刻な問題です。
長い間、効率と低価格を求め続けた余りに辿り着く先は、、
今からでも遅くはない、そう願って身近に取り組むべき事から始めないと、、
【2007年1月6~7日】
サレルノからアマルフィー海岸を西へ、いよいよカプリ島。
マリーナグランデ(港)に着いて、目の前にあるフニコラーレ(ケーブルカー)で
カプリ島の中心地〝カプリ地区〟へ到着し、降りたところで1ショット!
その先には直ぐウンベルト広場があり、そこからあちこちに路地が伸びている。
その広場から近い範囲の路地には世界基準のブランド店が立ち並び、
世界から集まってくるリゾート客に照準を合わせている。
中心地を奥へと進み、網目のように張り巡らされた路地を散策。
急にポツリとリストランテがあったり、
可愛らしい小物を置くお店があったりするから楽しい。
でもこの時期、閉まっているお店が多かった。
それにしても、暖かい。
コートが邪魔になって仕方がない。(笑)
半袖でも充分なくらい、、ってゆーか、泳いでる人おるもん。(爆)
あちこち歩き回って、ウンベルト広場まで戻って、今度は
カプリ地区から更に山を登った所にある〝アナカプリ(高いカプリ)地区〟まで、
地元の人たちに混じって、ミクロブス(マイクロバス)に乗った。
断崖の際々を、乗客を満杯に乗せた状態でぶっ飛ばすので、迫力満点♪
アナカプリ地区は、観光地化されたカプリ地区と比べると、
のんびりした雰囲気が残っている。
といっても、僕がハイシーズンを知らないからだけなのかもしれない。(笑)
このアナカプリの町を眼下に見下ろせるソラーロ山へのリフトは、
来る時間が遅過ぎたとかで止まっていた、くそぉ~
おっと、リモンチェッロの原料が、、笑。
買いましたぁ~、買いましたよぉ~
カプリ産リモンチェッロ♪
<
それにしても、思わず潜ってみたくなる透明度でした。
イタリア人のリゾートファッソンを堪能するのに、
次回は夏に来なきゃ駄目ですね!(笑)
あ~今日はのんびり観光三昧させて頂きました♪
どうもありがとうございました。